山中比叡平「歴史散歩」<9> 田中伸
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清水の湧水
崇福寺跡の石碑がある南尾根を南に降りた右にあります 甘露な湧き水で汲みに、来られる方もあるようですが 自己責任で飲用してください。

崇福寺跡
668年 大津京の北西、山中に天智天皇によって建立 されました。現在、南尾根に崇福寺旧址の石碑があるが 桓武天皇が建立した梵釈寺の金堂と考えられている。

延暦年間には十大寺の一つであったが、南北朝時代頃に 廃寺となりました。

金仙滝
崇福寺跡 近くに金仙滝があります。滝の左に 岩で組まれた、奥の浅い岩窟があります。この岩窟は 天智天皇が夢に法師が現れて、北西の方向に霊窟がある から、探し出せとお告げがありました。驚いて、その方向 を見ると、一筋の光が天空に昇っていました。

早速、翌日に光を放っ山中に分け入ると、一人の僧が お経を唱えていたので、問いただすと、この霊窟は 仙人が潜む霊窟と言って、姿を消しました。 周りを見渡すと、あまりの景勝地でこの地に崇福寺を 建立することに決めました。

工事中に奇異な銅鐸や白石が、地中から掘り出され毎夜 光明を放ったと言われています。

志賀峠 首無し地蔵
山中町、志賀峠の左に峠の地蔵さんと呼ばれている 頭部のないお地蔵さんがあります

その昔、峠の茶屋がありました
ある日のこと茶屋に強盗が入り 一家皆殺しにあいました

お地蔵さんは、その菩薩を とむらったと、悲しい言い伝えがあります。

南志賀 福王子神社
隣の福王子神社の祭神は歌人で有名な紀貫之です。 貫之は古今和歌集仮名序で黒主をこの様に批評をしています。

  大伴のくろぬしは、そのさまいやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。

これは、きつい言葉です

大伴黒主神社 福王子神社が仲良く一緒にする祭事が 山の神の祭りです。

山の神は女性で1月9日に竜に乗って種蒔きに来られる 8日に竜(長さ4m)ホンマラ(長さ40cm径15cm) その他を持って両神社の祠にお参り、奉納する祭りです。

南志賀 大伴黒主神社
祇園祭、黒主山は志賀の山越えに咲く満開の桜と それを、仰ぎ見ている大伴黒主、謡曲「志賀」の場面です

この大伴黒主は平安時代の歌人で六歌仙の一人。この地 の豪族で氏寺を、延暦寺の円珍に寄進し、円珍は天台宗別院園城寺(寺門)を作り、円仁(山門)との確執、延暦寺との分立の一つになりました。

西大津バイパス南志賀ランプ、信号手前の道を左に曲がると福王子神社 道を挟んだ隣が、大伴黒主を祀った大伴黒主神社です。

隣の福王子神社の神様が、大伴黒主神社の神様の悪口を言っています。その話は、又あした、です。

駒井家住宅
北白川伊織町にある、1927年にヴォーリズの設計に よって建てられた駒井家住宅です。

アメリカ スパニッシュ様式で大きな窓とステンドガラス が素敵な住宅です。

戦後、占領軍に将校用住宅として昭和21から25年 まで接収されていました。

NHK朝ドラの「マッサン」に住宅が使用されました。




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