山中比叡平「歴史散歩」<23> 田中伸
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西教寺 明智煕子の墓
明智光秀の妻、煕子の墓であります。

当時、光秀クラスの武将は 側室をかかえているのが普通であるが、光秀は側室をもつことなく一人の妻を愛した。それは光秀が貧しい頃に、持ち回りの連歌 会で、お金が無かったので煕子は黒髪を売って席をもうけたと伝 えられています。


西教寺 明智一族の墓
明智光秀と一族の墓である。光秀は山門焼き討ち後に、坂本城主 となり。信長には黙って城から近かった西教寺の檀家となった。

焼き討ち2年後には復興に尽力し、本尊の手配から庫裏の建設 梵鐘(陣鐘)の寄進、城門の移築、堅田城の戦いで戦死した家臣 を供養した時の供養米の寄進状などが寺に残っています。  


西教寺 本堂
西教寺は戒律と念仏の道場で、いつ行っても本堂では尼様が、鉦 を叩く音と念仏を唱える声が静かに響き、堂内は幽玄静寂な空気 が漂っています。本尊は阿弥陀如来(重要文化財)本堂も重要文化財です。


西教寺 総門
西教寺は聖徳太子の創建と伝えられているが、その後、荒廃して 中興の祖 真盛が天台真盛宗総本山として再興しました。 西教寺と明智光秀のかかわりが深く、この総門は坂本城門を移築 したものと、いわれています。


延暦寺 西塔 釈迦堂
三井寺の金堂(1347年 建立)を豊臣秀吉が1595年に 西塔の本堂(釈迦堂)として移築しました。延暦寺で一番古い 建物で重要文化財です。


延暦寺 常行堂 法華堂
常行堂は90日間、法華堂は21日間の修行を行う道場です。 弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担いだといわれた事から にない堂と呼ぶようになりました。重要文化財です。


大比叡
延暦寺までは何度か登ったことがあるが、今回、初めて比叡山 山頂まで登ろうと思い、阿弥陀堂から30分以上かかって三角点 へ、大比叡と呼ばれているのを初めて知った。木々に囲まれてい て眺望はゼロで、期待外れでした。


延暦寺 法華総持院東塔
最澄は全国六ヶ所に宝塔を建て、その中心にあるのが法華総持院 東塔です。慈覚大師円仁が862年に創建するが、山門焼き討ち で焼失し、その後400年ぶりに昭和55年に再建された。塔の 上層部には仏舎利と法華経が安置されている。本尊は大日如来で 五智如来と共に祀られています。





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