清水の湧水
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崇福寺跡の石碑がある南尾根を南に降りた右にあります
甘露な湧き水で汲みに、来られる方もあるようですが
自己責任で飲用してください。
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崇福寺跡
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668年 大津京の北西、山中に天智天皇によって建立
されました。現在、南尾根に崇福寺旧址の石碑があるが
桓武天皇が建立した梵釈寺の金堂と考えられている。
延暦年間には十大寺の一つであったが、南北朝時代頃に
廃寺となりました。
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金仙滝
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崇福寺跡 近くに金仙滝があります。滝の左に
岩で組まれた、奥の浅い岩窟があります。この岩窟は
天智天皇が夢に法師が現れて、北西の方向に霊窟がある
から、探し出せとお告げがありました。驚いて、その方向
を見ると、一筋の光が天空に昇っていました。
早速、翌日に光を放っ山中に分け入ると、一人の僧が
お経を唱えていたので、問いただすと、この霊窟は
仙人が潜む霊窟と言って、姿を消しました。
周りを見渡すと、あまりの景勝地でこの地に崇福寺を
建立することに決めました。
工事中に奇異な銅鐸や白石が、地中から掘り出され毎夜
光明を放ったと言われています。
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志賀峠 首無し地蔵
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山中町、志賀峠の左に峠の地蔵さんと呼ばれている
頭部のないお地蔵さんがあります
その昔、峠の茶屋がありました
ある日のこと茶屋に強盗が入り
一家皆殺しにあいました
お地蔵さんは、その菩薩を
とむらったと、悲しい言い伝えがあります。
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南志賀 福王子神社
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隣の福王子神社の祭神は歌人で有名な紀貫之です。
貫之は古今和歌集仮名序で黒主をこの様に批評をしています。
大伴のくろぬしは、そのさまいやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。
これは、きつい言葉です
大伴黒主神社 福王子神社が仲良く一緒にする祭事が
山の神の祭りです。
山の神は女性で1月9日に竜に乗って種蒔きに来られる
8日に竜(長さ4m)ホンマラ(長さ40cm径15cm)
その他を持って両神社の祠にお参り、奉納する祭りです。
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南志賀 大伴黒主神社
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祇園祭、黒主山は志賀の山越えに咲く満開の桜と
それを、仰ぎ見ている大伴黒主、謡曲「志賀」の場面です
この大伴黒主は平安時代の歌人で六歌仙の一人。この地
の豪族で氏寺を、延暦寺の円珍に寄進し、円珍は天台宗別院園城寺(寺門)を作り、円仁(山門)との確執、延暦寺との分立の一つになりました。
西大津バイパス南志賀ランプ、信号手前の道を左に曲がると福王子神社 道を挟んだ隣が、大伴黒主を祀った大伴黒主神社です。
隣の福王子神社の神様が、大伴黒主神社の神様の悪口を言っています。その話は、又あした、です。
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駒井家住宅
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北白川伊織町にある、1927年にヴォーリズの設計に
よって建てられた駒井家住宅です。
アメリカ スパニッシュ様式で大きな窓とステンドガラス
が素敵な住宅です。
戦後、占領軍に将校用住宅として昭和21から25年
まで接収されていました。
NHK朝ドラの「マッサン」に住宅が使用されました。
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