山中比叡平「歴史散歩」<8> 田中伸
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北白川宮元御殿車精米所
石碑には北白川元御殿車精米所と書いてあります。北白川宮は、智成親王(1856〜72)が明治3年(1870)12月から用いた称号で、現在の北白川仕伏町に屋敷がありました。

北白川宮の屋敷で用いられる米は、この御殿車(水車)明治40年まで精米されていました。

この石碑は北白川琵琶町 北白川アーバン コンフォート 駐車場 出入り口 前にあります。

白幽子仙人
北白川仕伏町バス停三叉路北角に、2本の道標の低い道標に 白幽子道と書かれています。

この白幽子は江戸中期に 隠士 書道家で医学 天文学にに通じ 石川丈山(詩仙堂を建てて終の住処にした)の弟子とも師とも 言われてる。

北白川瓜生山の岩窟に住み、白髪は膝より長く、軽く200歳は 超えて生きていたと言われ、白幽子仙人と呼ばれています。

富岡鉄斎は暮らしていた岩窟の前に石碑を建てました。

宇佐山城
宇佐山山頂に信長の命令で、森可成(森蘭丸のお父さん) が朝倉義景、浅井長政の南進、阻止と琵琶湖 北国街道 を押さえる目的で1570年に築城されました。

近江国では初めての石垣を作った城で、防御と言うより 恒久的に使う目的で築城されたと考えられています。

城主、森可成は宇佐山城の戦いで戦死し、その後に 明智光秀が城主として入りました。
光秀は一年後に 坂本城を築城して坂本に移り、この城は廃城となりました

宇佐八幡宮
1065年に源頼義が創建しました。源頼朝の五代前 八幡太郎義家のお父さんにあたる人です。

地元では、むし八幡と呼ばれ、子供の守り神として 信仰されています。

境内両脇には沢山の可愛い土鳩が奉納されて、子供への願い事が書かれています。

9月14日 15日と夜祭りが行なわれます。

宇佐八幡宮 柱石
本殿の左、奥に創建当時と伝えられている、柱石が 有ります。戦火で焼け、ただれた跡が在るらしいが・・ これかな、あれかなと言う感じです。

宇佐八幡宮 御足形
源頼義が錦織に隠棲したおりに、八幡大神がこの岩に 降りてこられ 岩から飛び立った数羽の鳩の導きで この地に祀れることのなった。

この岩には、くぼんだ神の足型が在ることから 「御足形」とよばれている
健脚のご利益があるそうです。

宇佐八幡宮 金殿井
天智天皇が重い病にかかられた時に、家臣の中臣金が 宇佐山の中腹に、霊水が湧き、この霊水を天皇が 飲まれると病気が治ると夢のお告げがありました。

霊水を探し当て、天智天皇に飲ますと 見る見るうちに病気は治りました。

宇佐八幡宮、参道の登りは息が切れました。

中のお地蔵さん
山中町にある。中のお地蔵さんは約30年前に 盗難にあいました。酷いことしますね

現在、祀られている地蔵菩薩は比叡平にお住いの 仏師が造られたものです。 優しいお顔をされています





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